04 | 2017/05 | 06

関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅「スウェーデン」再放送 

 “スウェーデン”と聞いて最初に浮かぶのがフェルゼン伯爵という『ベルばら』世代です。
 ▼ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵 (1755年9月4日~1810年6月20日)  
  Hans_Axel_von_Fersen2.jpg
   出典:Wiki

 『関口知宏の鉄道の旅』シリーズは2004年の『列島縦断 鉄道12000キロの旅 ~最長片道切符でゆく42日~』から見ています。
 当時は特に鉄道に思い入れがあって見ていたのではなく、「いずれは地元にも来るんだ」という期待感で見ていた気がします。
 それから10年以上も続く人気シリーズになるとはね。
 鉄道と人の暮らしの深い結びつき故でしょうか。

 昨日(1月30日)からスウェーデンの旅の再放送が始まったわけですが、BSで朝7時半からの朝ドラべっぴんさん』の次の番組なので、続けて見てしまうんですよね(=^-^=)
 
 ところで、スウェーデンって正直言うとあまり馴染みがありません。
 私の場合、冒頭で述べたように『ベルばら』でマリー・アントワネットの恋人だったフェルゼン伯が最初に浮かび、その後に、福祉国家、高い税金、高身長、ヴァイキング・・・・と続きます。

 車だと「ボルボ」、家具「IKEA」、お世話になってる洋服の「H&M」もそうよね。
 食べ物だと『もやしもん』にも出てきたニシンを発酵させた強烈な匂いのする食べ物「シュールストレミング」。強烈な匂いらしいけど美味しいんだよね?食べてみたいかも。
 忘れちゃいけない「ノーベル賞}(*ゝ∀・*)
 
 そして、スウェーデン発で最も身近だったのが、ABBA!!

 めっちゃ流行ってました!
 耳障りの良さと清潔感。
 ダンシング・クイーン、チキチータ、マネー・マネー・マネー・・・シングルとアルバムの総売り上げは3億7000万枚超。世界で最も売り上げたアーティストそうです。
 ABBA、思ってた以上に凄いグループだったのね。
 因みにABBAで最も売れたのは『Fernando』(1976年)で約1000万枚。日本では他の曲の方が有名って何故なんだろ?
 ▼私が最初に好きになった曲はコレ。『Waterloo』(1974年)
 

 
 鉄道の旅の話題にもどします。
 スウェーデンの旅、初回放送は去年の11月だったようです。
 旅は全部で10日間2800km。
 マルメ駅から北上し、国境のリクスグルンセン駅を目指します。
 
 マルメ駅での映像では、ホームに様々なデザインの車両が。
「うわぁー、北欧の列車はやっぱりデザインが垢抜けてるわ」なんて見ておりました。
 スウェーデンは駅は国営でも列車は国営じゃないとか。だから複数の鉄道会社がマルメ駅に乗り入れているわけで、様々なデザインの車両が見られるそうです。
 “撮り鉄”にやさしい国だわねぇ。

 ▼日本と違って、ペットや自転車もOK
  スウェーデンの列車
 右端のマークは何かしら?

 スウェーデンでは、太陽の光をたくさん取り込むために窓は大きく、そしてカーテンはつけないそうです。
 国の一部が北極圏というお国ならではですね。

 ▼独特なフォルムのカルマル城。最初に築かれたのは12世紀。
 Kalmar_slott.jpg







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コメント

ワイルド様へお返事です

ワイルドさん、お久しぶりです。
数年前にも同じようなコメント頂きましたね。
尻フェチを極めておられるようで(*^^*)
ところでルパンの新作映画はご覧になりましたか?
  • [2017/02/24 12:05]
  • URL |
  • ローガン渡久地
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

Reポール・ブリッツ様へお返事です

ポールさん、いつもご訪問頂きありがとうございます。そして濃い内容のコメントに毎回流石と感服致しております。

現代まで続くスウェーデン王家ベルナドッテ朝の始祖カール14世ヨハンが平民出身のフランス人だったなんて!
何故だか浮かんできたのは、山中伸弥教授がノーベル賞のパーティでマデレーン王女をエスコートした画像。
マデレーン王女のご先祖様なんですよね。

欧州の王族が皆血族なのは周知でしたが、平民出身者が混じっているとは思いもしませんでした。
跡継ぎの息子の名前がオスカル、というのもツボでした(*・´艸`・*)
とても興味深いエピソードをありがとうございました!!


お返事がトンでもなく遅くなったこと、伏してお詫びいたします。
申し訳ございませんでした。
  • [2017/02/24 11:59]
  • URL |
  • ローガン渡久地
  • [ 編集 ]
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Re:関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅「スウェーデン」再放送

初めましで、ワイルドといいます。リクエストさせてもよろしいですか?ルパン三世TheLastJobで、くノ一姿の飛鳥の尻を描いてもらいたいです。よろしくお願いいたします。

Re:関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅「スウェーデン」再放送

むかーし、昔、ナポレオン1世がフランス皇帝だった時代、配下の元帥に、ベルナドットという男がいたそうじゃ……。

そのベルナドットという男、生まれはフランスの田舎の平民の五男坊であり、食い詰めて海軍に入った。

兵士としての勇気よりも、実務能力に天性の才能があったんじゃろうか、一兵卒上がりとしてはほぼ「上がり」の位置である連隊付き副官という下士官になったが、そこで起こったのがフランス革命じゃ。貴族が占めていた上級士官がことごとくギロチン送りとなり、そこからこの男の大出世が始まる。

12年の海軍勤めの末、1792年に陸軍に中尉として移籍した。ベルナドットの能力は、戦術よりも、演説によって軍隊を鼓舞し、崩壊していた秩序を再編成するところが秀でていたらしい。フランス革命政府軍の一員として、1794年には大佐に、同年末には中将にまで出世している。

この男には何か独特の運があったらしい。危険を避ける独特の勘というものがあったのじゃろうか。

1796年9月3日、ヴュルツブルクの会戦に、病気を理由に不参加。

1797年3月、ナポレオンと対面。直後のタリアメントの会戦で優勢なオーストリア軍に正面から突撃し自軍に大損害を出すが生き残る。ナポレオンの評「無用の損害」

その後は徹底的に日和見を貫き、「反ナポレオン派」であるもののクーデターの誘いには一向に乗らない、軍人よりもどちらかといえば政治家として日を送るようになる。

1804年、ナポレオンは皇帝に即位し、声望のあったこの男を丸め込むために帝国元帥のポストを与える。指揮を執るのは第1軍団。どれだけナポレオンがこの男に配慮していたかがわかるというものである。

1805年、第三次対仏大同盟が結成され、オーストリア戦役が始まる。同年11月、ウルムの戦いでナポレオンが勝利した後、ベルナドットと指揮下の第1軍団は、ドナウ川の早期渡河に失敗し、ロシア軍総指揮官クトゥーゾフを取り逃がすという戦果(?)を挙げてナポレオンを激怒させた。ナポレオンがアウステルリッツの会戦で大勝利していなかったら更迭もあり得たはずじゃ。

1806年、プロイセンが挙兵する。イエナの会戦でナポレオンは、プロイセン軍の半数を包囲撃滅するという完璧な勝利を挙げたが、残りの半数はロシア方面へ撤退を図った。だが、ナポレオンはきちんとそこに伏兵を置いていた。ダヴー元帥指揮下の第3軍団である。アウステルリッツで両軍は会戦に突入。だが、数においてはプロイセン軍はフランス軍の二倍以上の数があった。そして、ベルナドット率いる第1軍団は、第3軍団の南方にいた。ベルナドットは動かなかった。理由は、「今から行っても間に合わないから」。結局、ダヴー元帥の孤軍奮闘により、アウステルリッツの戦いはフランス軍の勝利になったが、これについてもナポレオンは激怒したのであった。

1807年、ロシアとの戦いにナポレオンは取り組まざるを得なくなっていた。人呼んで「銃と火薬が発明されて以来最も過酷な戦い」であるアイラウ・フリートランド戦役である。この戦いにおいて、まず第一戦目のアイラウの会戦において、ベルナドットの第1軍団は、「命令書が来なかった」ために不参加。ロシア軍との小競り合いにおいて銃弾を首に受け重傷を負ったベルナドットは、続くフリートランドの会戦においては、負傷の治療のために不参加。なにかナポレオンが決戦をやろうとすると「不参加」ということになるまことに頼りになる(?)元帥であった。

1809年、再度立ち上がったオーストリアに、ナポレオンはワグラムで決戦を挑む。敵陣分断の任務を受けたベルナドットはそれを果たせず、保持していた村を引き払って撤退、潰走してナポレオンの怒りをまた買うことに。

事実上、これがフランス帝国の元帥としての最後の指揮であったといえる。なぜなら、このベルナドットというやつに軍事的才能はゼロではないか、と判断したナポレオンは、むしろ政治家としての能力を発揮させるために、スウェーデンに王太子として据えたのである。

そして1810年11月、ベルナドットはカール・ヨハンと改名した。ナポレオンのロシア遠征が失敗に終わるのを横目で見ていた彼は、スウェーデンを対仏同盟側に寝返らせるという当然の判断をする。

そう! このベルナドットこそ、今に続くスウェーデン王家ベルナドッテ朝の始祖である、スウェーデン王カール14世ヨハンなのである! 軍事的能力も、政治的能力も、外交的能力も天才ナポレオンはおろか他の帝国元帥に劣っていたにもかかわらず、セントヘレナに流されたナポレオンをはじめ他の元帥が戦死したり戦死しないまでも不名誉な後半生を送ることになったのに対し、この男はスウェーデンの王冠を頭に抱いてベッドの上で死に、そして王朝は21世紀の今に続いて国民からの敬愛を受けているのである!

それを考えると、豊臣秀吉などとは比べ物にならぬ下剋上大成功者と言わざるを得ない。ゲームファンからは「無能」で通っているベルナドットであるが、よくよく考えてみると、ナポレオンなどとは比べ物にならぬほど恐ろしい男だったのではないか、そう思えてならないのである。

以上実話。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB14%E4%B8%96%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3_(%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E7%8E%8B)

いやー、スウェーデンについての話が出てきたのでつい入れ込んで書いてしまいました(^^;)

小説にしたいような男なんだけどあいにくとフランス語もドイツ語も読めない(^^;)

すみません長々つきあわせて(^^;)
  • [2017/02/03 23:22]
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